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初老ジャパンの経歴や職業は?メンバーの愛称は誰がつけた?

初老ジャパンの経歴や職業は?メンバーの愛称は誰がつけた? エンタメ

この記事では、初老ジャパンの経歴や職業は?メンバーの愛称は誰がつけた?について紹介していきます。

2024年のパリオリンピックで92年ぶりにメダルを獲得した馬術競技。

92年ぶりの快挙とあって、彼らがどんな経歴を経て今に至るのか知りたいと思う方もいるでしょう。

経歴や職業だけでなく彼らのユニークな愛称も誰がつけたのか気になりますよね。

そこで今回は、初老ジャパンの経歴や職業は?メンバーの愛称は誰がつけた?についてご紹介していきます。

【この記事でわかること】

  • 初老ジャパンメンバーの経歴
  • 初老ジャパンメンバーの職業
  • 初老ジャパンメンバーの年齢
  • 初老ジャパンの名付け親

初老ジャパンメンバーの経歴

メンバー4人の経歴についてまとめました。

経歴①大岩義明

愛知県名古屋市出身の大岩さんはメンバー最年長です。

10歳の頃に馬術をはじめ、大学では馬術部の主将を務めていました。

大学を卒業してからは馬術から離れてしまったようですが、2000年に開催されたシドニー五輪を見て競技復帰。

2001年にイギリスへ渡ってからは、下記のオリンピックに出場し活躍しています。

  • 北京オリンピック(2008年)
  • ロンドンオリンピック(2012年)
  • リオデジャネイロオリンピック(2016年)
  • 東京オリンピック(2020年)

そして2024年にはパリオリンピックに出場し、日本代表として5大会連続出場を果たしています。

2017年に馬術五輪代表選手の武田麗子さんと結婚し、2018年にはお子さんが誕生。

現在は奥様とお子さん2人の4人家族のようですね。

初老ジャパンメンバーの経歴②戸本一真

戸田さんは岐阜県本巣市出身です。

8歳の頃に乗馬を始め、明治大学の馬術部に入部すると1年次からレギュラー選抜入り。

その腕前は素晴らしく、全日本タイトルを獲得しています。

一度馬術から離れてしまったようですが、2016年に東京オリンピック出場を目指して復帰。

拠点をイギリスに移して活動を続け、見事2020年の東京オリンピック出場を果たしました。

2009年に馬術五輪代表選手の佳子さんと結婚し、お子さんも誕生しています。

写真が2015年のものなので、逆算すると2014年か2013年に誕生しているのでは?と思います。

初老ジャパンメンバーの経歴③北島隆三

北島さんは兵庫県神戸市垂水区出身です。

小学校5年生頃に競馬の騎手に憧れ乗馬を始めましたが、身長と体重増から騎手への道を断念したそうです。

その後、五輪を夢見て馬術に目覚め、明治大学では馬術部に入部しました。

2014年の仁川アジア大会で団体銀メダル獲得を期に、イギリスに渡り活動を続け下記オリンピックに2大会連続で出場しています。

  • リオデジャネイロオリンピック(2016年)
  • 東京オリンピック(2020年)

そして2024年にはパリオリンピックに出場し、日本代表として3大会連続出場を果たしています。

実はリオデジャネイロオリンピックでは馬体検査により棄権しています…

北島さんはご結婚されていてお子さんが2人います。

詳しい年数はわかりませんが、2015年にイギリスへ渡った時、奥様やお子さんは日本で生活していたようなので単身赴任していたみたいですね。

初老ジャパンメンバーの経歴④田中利幸

田中さんは福岡県福岡市出身です。

中学3年の頃に、TVで競技会の映像を見て始めた乗馬体験をきっかけに馬術競技を始めたそうです。

2007年に大学を卒業しクレインへ入社し、総合馬術選手を目指して活動していました。

オリンピックには下記の2大会に出場しています。

  • ロンドンオリンピック(2012年)
  • 東京オリンピック(2020年)

2016年のリオデジャネイロオリンピックでは残念ながら選考会で落選に…

そして2024年にはパリオリンピックに出場し、団体では銅メダルを獲得しました。

田中さんはオリンピック以外にも2011年山口国体で総合馬術優勝、同年全日本総合馬術大会2位、2014年アジア競技大会で団体銀メダルを獲得しています。

初老ジャパンメンバー4人の職業

初老ジャパンの経歴や職業は?メンバーの愛称は誰がつけた?

次に、4人の職業についてまとめました。

職業①大岩義明

大岩さんはnittohに所属しています。

株式会社nittoh(旧社名 日東光学株式会社)は長野県に本社がある光学関連機器の開発や製造を行っている会社です。

彼が具体的にどんな仕事をしているかはわかりませんが、過去のHPに大岩さんのオリンピック出場が掲載されていました。

株式会社nittoh

職業②戸本一真

戸田さんは日本中央競馬会(JRA)に所属しています。

インタビュー記事を見ると異動による葛藤もあったようで胸が熱くなりました。

一部を抜粋しまとめてみましたのでご覧ください。

日本中央競馬会の就職は2006年。

入社2年間は馬事公苑で馬に乗るのが仕事だったようですが、3年目で栗東トレセンに異動。

競走馬の管理をする馬術とは関係ない事務仕事を行ったようです。

事務仕事を2年続けた後、千葉県白井にある競馬学校へ教官として異動。

自分の競技に向けての馬のトレーニングではなく、生徒が乗りやすい馬を作っていくことが仕事だったため難しさがあったようです。

馬事公苑に戻れることを信じ頑張った期間に関しては、遠回りだったかもしれないけど、人として成長できたと答えています。

また、競技に出られなかった期間があるからこそ、今の環境のありがたさ、楽しさを実感していると語っていました。

取材記事:netkeiba

職業③北島隆三

北島さんは乗馬クラブクレインに所属しています。

株式会社乗馬クラブクレインは全国展開している乗馬クラブで、過去のテレビ取材では指導員として活動していると紹介されていましたよ。

取材記事:関西テレビ「newsランナー」 2024年7月30日放送

職業④田中利幸

田中さんは乗馬クラブクレインに所属しています。

北島さんと同じく株式会社乗馬クラブクレインでは指導員として活動しているようです。

取材記事:関西テレビ「newsランナー」 2024年7月30日放送

初老ジャパンメンバー4人の年齢

4人の年齢は下記の通りです。

大岩義明1976年7月19日48歳
戸本一真1983年6月5日41歳
北島隆三1985年10月23日38歳
田中利幸1985年2月2日39歳

初老と呼ばれるような年齢ではないですね…誰が付けたのかきになります。

初老ジャパンは誰がつけた?名付け親は?

初老じゃないのになぜ「初老ジャパン」なの?

これは私もとても気になりました。

なぜこのユニークなネーミングがついたのか、本人たちはこのように話しています。

前略

「日本代表って○○ジャパンってついているでしょ。馬術はどうする?」と監督が口にした。ちょうど、全競技の日本選手団の中で杉谷と大岩が年齢が高いワン・ツーを占めているという話をしていたところだった。誰かが「初老ジャパン」と言うと、「昭和ジャパン」という声も上がった。馬にちなんで「ペガサスジャパン」も出たが「それは違う」とすぐに却下された。そして、何となく「初老ジャパン」に落ち着いた。

始めに誰が言ったのか気になりますが、会話からの流れで決まったネーミングだとわかりました。

自分達でつけた名前がこんなにも有名になるとは、この頃の選手たちも思っていなかったのではないでしょうか。

初老じゃないのに失礼だなぁと思っていましたが、これなら納得ですね♪

初老ジャパンの経歴や職業は?メンバーの愛称は誰がつけた?まとめ

名前出身地生年月日出身大学所属
大岩義明愛知県名古屋市1976年7月19日明治大学nittoh
戸本一真岐阜県本巣市1983年6月5日明治大学日本中央競馬会
北島隆三兵庫県神戸市1985年10月23日明治大学乗馬クラブクレイン
田中利幸福岡県福岡市1985年2月2日日本経済大学乗馬クラブクレイン

初老ジャパンの経歴や職業は?メンバーの愛称は誰がつけた?についてご紹介いたしました。

皆さん幼いころから馬術に関わり腕を磨いてきたんですね。

ユニークな愛称も自分達で付けたと聞くと納得です。

競技中の選手や馬の様子を見ていると、長年築かれてきた信頼関係も伝わり目頭が熱くなりました。

このメダル獲得により多くの方が馬術に興味を持ってくれると嬉しいですね。

92年ぶりの快挙、本当におめでとうございます!

初老ジャパンの経歴や職業は?メンバーの愛称は誰がつけた?をご覧いただきありがとうございました。

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